働く職員のすがた(職員インタビュー)

鹿野史雅さん つばさ共同作業所 2019年入職

障害者支援の仕事、鴻沼福祉会を選んだ理由を教えてください

以前は、高齢者介護の仕事をしていました。学生時代に知的障害の子どもたちと遊ぶボランティアをしていた時のことを思い出し、一緒に何かをする仕事がしたいと思いました。高齢者介護は、機能の維持が主目的になりますが、障害者支援の仕事は、一緒に仕事や活動にとりくんで、自分も一緒に成長できるのが、やりがいであり、楽しさでもあります。

現在、どんな仕事をしていますか

つばさ共同作業所の「いも玉班」という作業班の担当です。青果市場から、箱詰めのじゃがいもや玉ねぎをもらって、それを袋詰め加工する仕事です。すごく活気があり、また、みんなで協力しないと終わらないので、自然と団結力が高まり、仕事が終わるとみんなで「あー今日も1日頑張って、おわった!」という気持ちになります。仲間たちは、納品のトラックに乗って、市場に一緒にいくのがすごく好きです。自分たちのつくった商品がどんなところに行くのか知りたい、また市場でいろいろな人に声をかけられるのも楽しいみたいです。職員は、仲間と一緒に仕事をするだけでなく、2tトラックを運転して、青果市場に荷受けや納品にも行きます。

やりがいを感じるのはどんな時ですか

先ほども言ったように、一緒にとりくんで、一緒に成長したなあと感じらえる時です。入職して間もなく、作業所の旅行があって、ディズニ―ランドに行きましたが、自分も一緒に楽しんできました。介護の時もディズニ―ランドには行きましたが、見て楽しむことが多く、ジェットコースターに一緒に乗ることはさすがになかったので。
まだ、入職して1年もたっていないので、これからいろいろな経験を重ねていくなかで、やりがいも広がっていくのかな、と期待しています。

どんな職員になりたいですか

「鹿野がいると笑顔になる。雰囲気がよくなる」と言われたいですね。みんなに安心感を与えられるようになりたいです。今は、とにかくいも玉班が楽しいです。

休みの日はどのように過ごしていますか

先日、子どもが生まれたばかりなので、今は必要なものをあれこれ買い出しに行くことが多いです。


蓜島智大さん あざみ共同作業所 2014年入職

障害者支援の仕事、鴻沼福祉会を選んだ理由を教えてください

学生時代は保育士を目指していました。保育実習で障害者施設に実習に行って、そこで楽しさを感じ、障害者支援の仕事に興味をもつようになりました。鴻沼福祉会は、僕の育った地元の地域でいろんなことをやっていて、施設の閉鎖的なイメージが変わりました。また、「仲間たちが主人公」というワードも心に残りました。もともと、対人の仕事をしたいと思っていたので、障害者支援の仕事を選んだのは、自分のなかでは自然な流れだったと思います。

現在、どんな仕事をしていますか

あざみ共同作業所の「エコ班」の担当をしています。「エコ班」は、地域に出かけていって、新聞や段ボールなどの回収をしてくる仕事ですが、最重度の知的障害や行動障害の仲間がたくさんいます。その仲間たちとトラックに乗って地域に出ていくのは、怪我や事故が起きないように気を遣うことも多いですが、8年間続けるなかで地域に根付いてきて、住民の方たちからは、「待ってたよ」「いつもありがとう」と温かい言葉をいつもかけていただき、ほんとうにありがたいです。障害の重い仲間たちも、そういう温かい言葉に励まされ、また、新聞や段ボールでいっぱいになったトラックを見て、達成感を感じています。

やりがいを感じるのはどんな時ですか

「この仲間にこんなことできるようになってもらいたい」と自分なりに仲間にかかわるうえでの目標をもち、どんな風にしたらできるようになるか、試行錯誤して、仲間と一緒にとりくんでいるうちに、目標にしていたことができるようになる…。そんな時に喜びややりがいを感じます。資源回収のチラシまきをするんですが、ある仲間は、以前は職員が1枚ずつ渡していたチラシを、本人専用の手提げ袋をつくって数十枚まとめて渡し、一区画ひとりでまいてくることができるようになりました。

どんな職員になりたいですか

もうすぐ30歳になることもあり、ただ楽しいだけではなく、その場を締めることもできる職員になりたいと思います。あとは仲間の希望は、どんな希望でも否定しないで、一緒にやろう、頑張ろうと言える職員でいたいと思います。

休みの日はどのように過ごしていますか

フットサルのチームに入っているので、練習や試合をしています。終わった後の「飲み会」も楽しみですが、今はコロナの影響で開催できず、ちょっと残念です。


「仲間」とは

私たちは鴻沼福祉会の障害のある人を「利用者」ではなく「仲間」と呼んでいます。「仲間」という表現の中には、障害のある人もない人も、一人の人間として対等な立場でありたいという思いが込められています。 戻る

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